『続・まちづくりとメディア』

<お仕事で書いた文章>

愛媛新聞に連載させていただいた「マスコミ時評」欄の最終回。

以下の文章は、2005年12月19日の掲載。



まあ、ありていに言って、
松山のタウン情報誌ってのは、
あまり面白いとは言えないのですね。



1.種類が少ない
2.ターゲットが明確じゃない
3.タウン誌ならでは!という情報がない
(口コミのほうが情報量が多かったり的確だったりする)



・・・てな、感じですかね、特徴を挙げると。




もちろんタウン誌を作る側ばかりの問題ではなく、
地方都市の消費者意識ってのも、大きな背景として存在する。


例えば、3年前に、
松山市内の主婦層を対象に、
意識調査をしたことがありますが、
そのときに、主な購入品目ごとに、
どんな情報源を使っているかを尋ねたところ・・・



1.自分の過去の記憶
2.新聞



・・・の2つがダントツだったわけで。

ようするに、かなり保守的というか、頑固というか、
あまり雑誌のような情報には
踊らされにくい気質が有るようなのですね、松山には。




でも、全ての地方都市がそうかと言うと
そんなことはない。


本文にも書いたけど、
熊本なんかは、
種類も多いし、
ターゲットも明確に細分化されていて、
しかも内容が結構センスがよくて面白い!


タウン誌を研究するなら、
熊本はかなり発見が多そうな予感がしますね〜。



松山のタウン誌ももっと面白くならないかな〜。




====以下、本文===================


『続・まちづくりとメディア〜タウン誌の活性化が必要』


 まちづくりのためには、どのようなメディアが必要だろうか。
県内はもとより、県外の人にも愛媛の魅力をぞんぶんに伝え、これからのまちづくりに加わってもらうにはどうしたらよいのだろうか。
 私は、タウン誌(地域情報誌)という雑誌メディアを、今以上に盛り上げていく必要があると考えている。
 なぜ雑誌か。二つの理由がある。一つは責任感である。多くの雑誌は、お金を払って購入する。ゆえに、作る側だけでなく、読者の側にも、買って損をしない雑誌を選ぶ責任が生じる。つまり、互いに適度の緊張が保たれた関係が生じる。
もう一つは連帯感である。雑誌は細分化の進んだメディアである。ゆえに、読者同士の好みや考え方が似通いやすく、おのずと親近感が沸く。多くの雑誌の読者欄が「ペンフレンド募集」のような記事を載せ、読者間の連帯が生まれるのも、それゆえである。
 これらは他のメディアにはない特徴だ。例えば、フリーペーパーや、インターネットの情報の多くは、無料で手に入るが、その分、責任感も薄れやすい。また新聞やテレビでは、不特定多数の人が接しているため、連帯感が生じにくい。
 したがって、まちを愛するものたちの、責任感ある連帯を形作っていくためには、タウン誌が重要である。
 今、県内の主なタウン誌としては『タウン情報まつやま』と『愛媛こまち』の2誌がある。これらの雑誌は、おおむねOL層をターゲットに、地域の飲食店情報などを中心に、充実した内容が特色だが、もっと多くの種類のタウン誌があってもいいのではないだろうか。
 語弊を恐れずに言えば、さしあたって、時間とお金に比較的余裕のある人々をターゲットにしてはどうか。
 例えば大学生である。学生からも「ちょうど読みたい内容のタウン誌がない」「だから立ち読みで済ませてしまう」といった意見を聞く。彼/彼女らに合わせ、少々安価で近場の、気軽に盛り上がることのできる飲食店やアミューズメント情報に特化したタウン誌はどうだろうか。
 あるいは、高齢者である。近年、第二の人生を謳歌する人たちが増えてきた。この人たちを対象に、少々豪華で、しかし体に負担のかからないような、まちの楽しみ方を提案するタウン誌はどうだろうか。
 いずれにせよ、松山市の人口規模に比べると、タウン誌の種類が少ないように思われる。
 例えば熊本市のタウン誌は、4〜5種類が存在し、若者向け、家族向け、独身者向けなどと明確に対象が絞られ、内容も充実している。これら他の地方都市の事例も参考になろう。
 徐々にフリーペーパーの台頭が著しい昨今において、まちづくりに本当に必要なメディアは何か、真剣に考え直す時期が来ているように思われる。(以上)