高畠華宵と現代のオタク文化に関する鼎談


<お仕事で書いた文章>



高畠華宵ってご存知でしょうか?

少年倶楽部」の挿絵に美少年や美少女を描いた・・・といえば、
ポピュラー文化好きの方なら、
「あああの!」とすぐに絵柄が思い浮かぶかもしれませんね。

そうです、竹久夢二などと同時期、
大正時代に活躍した画家です。

実は、その華宵が愛媛県出身で、
彼の作品を展示する美術館が松山近郊にあるんです。
高畠華宵大正ロマン館:
http://www.kasho.org/bijutsukan.html




今回、たまたまこの美術館が、
昨年末〜年始にかけて


「チャレンジ展示 <華宵萌え〜>」

なるイベントを実施されました。



華宵が描いた大正時代の美少年/美少女画は
今日の、ヲタクたちの萌え文化としても
受容可能なのではないかという、
まさしくチャレンジングな展示をされたわけです。


これだけでも、文化社会学者としては
あれこれ語りたくなってしまいますが、
なんと、それがきっかけとなって、
私と、師匠の宮台真司氏が
この美術館の会報誌に登場することと相成ったわけです。
(そのまえに、愛媛新聞で私がメイドカフェについて
コメントしていたのをたまたま館長さんがご覧になっていたとのこと。)



正確には、会報誌『大正ロマン』第27号掲載の
「文化鼎談 美術館千夜一夜物語『 魔 性 』」にて、
高畠華宵大正ロマン館館長の高畠澄江氏、
首都大学東京准教授の宮台真司氏、
そして私(=辻)の3名で鼎談をさせていただいたわけです。


この鼎談の全内容も、
同美術館のサイトに掲載されておりますので、
ぜひご一読下さい。
http://www.kasho.org/taisho_roman27.html



もっとも、師匠である宮台さんが
飛ばしまくっていますので、
私はほんの少ししか発言していませんが・・・。




近頃の宮台真司さんは、
何かというと「徴兵制だ!」などと物騒な発言をすることも多かったですが、


・今、文化を盛り上げていくことがいかに重要か、
・そのために、今、何をするべきか


といったテーマについて、
実にツッコンで語っていらっしゃいます。




ですので、大正ロマンにご関心の方はもとより、
文化社会学にご関心の方もおもしろくお読みいただけると思います。





なお、鼎談原稿の合間合間には、
華宵のイラストが挿入され、
堅苦しい学術誌とは違った、
すてきな雰囲気の仕上がりとなっていますので
そちらもお楽しみ下さい。







〜〜〜〜以下、私(=辻)の発言からの抜粋〜〜〜〜〜〜〜〜〜



辻:(年末〜年始にかけて、大正ロマン館が
「チャレンジ展示 <華宵萌え〜>」を実施したことに触れて)
<華宵萌え〜>という展示は、語弊を恐れずに言えば、「誤読」だと思います。なぜなら、当時「萌え」は存在しなかったからです。しかしながらこの「誤読」は、実に重要な問題提起を含んでいます。もちろん、現代においてオタクたちが、華宵の絵に「萌え」を感じることはありえるでしょう。しかし大正時代の受容形式とは明らかに異なります。そうした文化の受容形式の違いに重要なヒントがあると思います。


辻:その点で、ライバルと称される竹久夢二よりも、高畠華宵のほうが、世間一般での知名度はどうか知りませんけど、はるかに、後の社会への影響が大きかったのは間違いないでしょう。宮台さんがおっしゃったように、後の文化において、そこかしこに高畠華宵的なものの影響が見られる。ポイントは、繰り返し述べられてきたように、「近代化する日本」という、変動の時代の一瞬の魅力を描き出したことにあると思うんです。この点で、大正ロマンと後のアングラ文化に同質性を見出す、宮台説に同意します。さらに言えば、1920年代と1960〜70年代は、別個の独立した時代と捉えないほうがいいようにすら思います。すなわち、戦争での中断こそあれ、決して断絶はしていない、一つの大きな近代化過程だったとすら言えるのではないかと。そう考えると、現代の問題点も見えてきます。ある程度の近代化が達成されて以降の、成熟社会(後期近代社会)を我々はいかに生きるべきかという問題です



辻:よく「現実逃避が問題だ」などと言われますが、問題の本質を見誤っています。あえて分かりやすく二分法にのっとって、挑発的な言い方をすれば、むしろ問題なのは「逃避したくなるほどの現実のつまらなさ」でしょう。もっと言えば、面白い虚構が減少していることのほうが問題です。実り有る虚構の情報が豊富にあれば、むしろ現実が豊かに感じられるはずです。そうした発想の転換が必要です。


辻:現代の文化について、日本人の若者は文化の楽しみ方が下手であるような印象を受けるんです。80年代ぐらいにはこれからは文化の時代が来るというふうに言われました。つまり経済的な発展はもうないだろうから、これからは文化を楽しむ以外に社会の楽しみはないだろうと言われていましたよね。その十分なスキルを身につけないままに、どうも日本人が2000年代を迎えてしまったような印象があります。90年代は、やはり文化についても、「失われた10年間」だったのではないかと。
 抽象的な言い方をすれば、今問題なのは、「成熟社会としての後期近代社会を我々はどうすれば、楽しく生きることができるのか」ということです。1980年代に「ネタ」として描いていた未来は、2000年代になると「ベタ」な現実になってしまったわけです。


辻:闇の部分がある社会、それを作り上げる必要がありますね。冒頭で<華宵萌え〜>は、重大な問題提起を含んだ、あえてする「誤読」だと申し上げました。大正ロマン館には、こうしたチャレンジを今後もぜひ続けていただきたいと思います。愛媛には、道後温泉界隈のように、モダニズムの香り漂う空間がまだまだ多く残されています。そうした文化的遺産をうまく取り入れつつ、特に若い人たちに向けて、発信していただきたい。機会があれば、私も学生を連れてこようと思います。社会学者は、理屈ばかり唱えやすいきらいがありますが、すばらしい文化的遺産をお持ちの美術館・博物館とコラボレーションさせていただくことで、なんだかとても面白そうなことができる気がしてきました。今後も、そうした文化社会学的実践に取り組んで行きたいと思います。