『まちづくりとメディア』


<お仕事で書いた文章>

本日(2005年11月7日)の愛媛新聞に掲載された記事。


現在、松山では、松山城への眺望を保全しながらいかにまちづくりを進めるのかという検討が進められている。

景観法という法律もあるのだが、山城への眺望保全をまちづくりに盛り込むか、否かという観点からの議論は、なかなか前例のないことらしい。

それゆえ、議論は難航を極めている。


今回は、ちょっと視点を変えて、メディアの問題について指摘してみた。


あまりにも、行政側のメディア戦略がお粗末過ぎるのは、驚きではあったけれども、実は、マスメディアの側の行政に対する姿勢も、かなり問題があったりする。

一言で言えば、「あら探し」が自己目的化している恐れがあるのですね。


権力批判は、それはそれで重要なのだけど、松山みたいな地方都市の場合、行政とマスメディアが、ともに協力して、まちづくりを考えていく、そのために手を携えるようなことがあってもいいんじゃないか、そんな考えを文章にしてみました。


もう少し、具体的な報道の問題点の指摘や提言なども織り込みたかったのですが、スペースの都合上できませんでした。



ただ、僕が実際に直面した、報道の問題点としては、
(これは愛媛新聞の記事であり、その取材を受けたのですが)

「『景観』とは何かという定義があいまいなまま議論が進んでいる」

という趣旨の記事が例えばありました。


まあ、そうかなと思わなくもないですが、
やはり本質を欠いていると思わざるを得ません。


これも取材の際に申し上げたことなのですが、


「本質は、まちづくりが”市民主体”で進んでいるかどうかです。
『景観』の定義云々も重要ですが(というかそれとも関連するのですが)
”市民主体”のまちづくりがいかにできているか/いないか、
ということに論点を絞って、取り上げてくれませんか?」


という指摘は、果たして、どれだけご理解いただけたのか・・・。



また、提言ということで言えば、
もちろん、不信ばかり持って、働きかけない行政がまずもって悪いのですが、
愛媛新聞や、あるいは地方局である民放各局などは、
もっと、受身に取材するだけでなく、いっしょになって眺望をどうするかを
考えるべきだと思うんですよね。

特集を組むなり、トーク番組をするなり、
なんでもありえると思うんですけど、
ただ、「いつものニュース」として取材して、
帰っていくだけの姿には、ずっと疑問を感じているところがありました。


下の本文でも書いたことですが、
地方ならではの、メディアと行政の相利共生関係
(もちろん、それは”なあなあ”の慣れあいになってはいけませんが)
をいまこそ作る必要があるんじゃないかってのが、僕の意見ですね。


東京にできないことを、地方だからこそ、先にやってみせる。

今回の松山城の眺望をめぐる議論は、
そのためのいいきっかけとなると思うのですが、
果たして今後の成り行きやいかに?






====以下、本文========================

『まちづくりとメディア*1                           

 一昨年から、松山市の「松山市都市景観検討協議会」の会長をお引き受けしている。検討内容は、高層ビルの建築が進む中、松山城への眺望をいかに保全しながらまちづくりを進めるか、である。
 観光資源、まちのシンボル、いずれにせよその眺望は貴重だ。だが先行の市民意識調査では、多少なりとも不利益を被る恐れがあるとなると、まだまだ慎重になってしまう姿勢が伺えた。こうしたまちづくりもなかなか前例が少ないらしい。
 この協議会に決定権はないが、行政の提案にコメントを付し、再び行政が取りまとめるというやり取りを繰り返し、おおむね以下のような議論がなされてきた。

  1. まちづくりの主体は市民だが、城山の眺望保全に関する意識は十分に盛り上がっているとはいえず、現段階で行政が一方的な施策を講じるべきではない
  2. 市役所前にモデル地区を設定し、その取り組みを多角的にアピールしてはどうか
  3. モデル地区のアピールを通じて、市民意識の盛り上がってきた地域があれば、徐々に取り組みを広げていってはどうか。

 私が問題を感じたのは2の点だ。モデル地区という発想はよいとしても、そのアピールのアイデアが欠落しているのだ。行政が想定したのは、市の広報やホームページの活用である。しかし、多くの市民に対するアピール策として果たして有効といえようか。
 むしろ対象ごとにアピール内容と手段を選択するような工夫が必要だ。具体的には、若者向けにタウン誌に依頼して共同でイベントを実施したり、あるいは主婦向けにフリーペーパーを活用したりといったことだ。
 この場合、行政にもマーケティング感覚が求められるが、メディアの側も傍観者のままではなく、主体的に関わることが求められる。
だが、これまでのマス・メディアの取材姿勢には疑問が残った。語弊を恐れずに言えば、マス・メディアは行政に対し「あら探し」ばかりする傾向がある。取材される側になって感じたことだが、もっぱら問題点や批判点ばかりを探し、建設的な提案や指摘はあまり耳にしなかった。
 もっと問題なのは、「機械的な日常業務」のような取材だ。初回にはカメラが砲列をなしたが、議論が深まるごとに数は減った。よって行政の側にも、マス・メディア不信が根強い。
 もちろん、権力批判はマス・メディアの重要な役割だ。だが、今回のようなまちづくりをめぐって相互不信が続くことは、とてもメリットがあるとは思えない。同じまちに暮らすものとして互いのメリットを共有しながら、共に未来を構想することが重要ではないだろうか。そうした相利共生の関係こそ成熟社会のあり方だ。
 市民主体のまちづくりに、行政もマス・メディアも、何をしたら役に立てるか、真剣に考えてみてほしい。会の任期はまもなく終わるが、引き続き一市民として今後を見守りたい。
                          (松山大学人文学部講師)

*1:掲載稿に間に合わなかった修正を一部施してあります。