読み手から書き手へ〜メディア・リテラシー概念、展開の時期到来


<お仕事で書いた文章>

愛媛新聞』「マスコミ時評」欄の記念すべき第1回目の文章。

今読み返すと、こんなにも”市民派”な文章を書いていたのかとびっくり。


最近は、大衆社会論に転向しつつあったりもするので、
自分に何が起こったのか、
それとも日本社会に何が起こったのかと
ちょっと振り返って考えてみたりしてしまった。



===以下、本文=============

「市民の取り組みからメディアを変えよう。」
 そんな試みの場として、先週末の土曜日、日本女性会議第二分科会「メディア・リテラシー」が開かれた。
 私もパネラーの一人であったのだが、多くの参加者に問題意識が共有され、大成功に終わった。
 そもそもメディア・リテラシーとは、「メディアの読み書き能力」を意味する概念だ。言葉や文字を読み書きするように、我々はメディアの情報もまた、適切に読み解き(受信)そして書き伝えて(発信)行かねばならない。
 しかし、これまで日本においては、読み能力ばかりが注目を集めてきた。
これは、この国のメディア情報に、差別的で問題のある表現がいかに多かったかを物語る。
だが、十分とは言えないまでも、着実に改善は進んできた。次に必要なのは、メディアの情報発信を今まで以上に魅力的なものにすることである。
さて、ここで勘違いをしてはいけない。これは、メディアだけに任せる問題ではない。我々市民こそが参加すべきだ。
我々は、情報を受け取るだけの「受け手」から、表現に敏感な「読み手」へと変化してきた。そして今こそ、魅力的な情報発信に加わる「書き手」にならねばならない。
では具体的にどうすべきか。単純な話だが、新聞なら記事に取り上げて欲しい情報をどんどん新聞社に伝えることである。
 (失礼かもしれないが)新聞記者は、我々の想像するほどに、全ての世事に通じているわけではない。これは取材力の低下というよりも、社会の変化が急速で大規模なため、対応しきれていないのが実状だ。むしろそこにこそ市民が「つけこむスキ」がある。
 記者の手が回らないような巷の情報や、あるいはその背景にまで踏み込み、メディアに対して市民から丁寧な情報発信をすればよい。記者の専門性を越えた部分を市民がフォローし、時に取り上げて欲しい問題を記事にしてもらう。そんな「相利共生」の関係を築くことが、成熟した情報化社会のありかたといえよう。
 これは根拠のない話ではない。愛媛新聞社はじめ、市内の各メディア関係者に、私とゼミ生が直接インタビュー調査した結果、そうした情報発信は「本当にありがたい」ものと待ち望まれていた。
 あわせて、記事にも書き方のコツがあるように、そうした情報発信がメディアの目を引くためのコツもご伝授いただいた。
 分科会当日には、そうしたコツと、市内の主なメディアの連絡先をセットにしたマニュアル(「松山マスコミ電話帳」*1)を配布し、ご好評をいただいた。
 これをスタート地点として、書き手となった市民に、メディアが実際にどう対応してくれるのか、今後、見守って行きたい。

*1:ご関心の方は私までメールください。残部がありますので。