「今、なぜオタクか?」〜『オタク文化論』新聞掲載記事補足メモ


先日、愛媛新聞の取材を受ける。

2005年10月9日(土)愛媛新聞紙面、
マツヤマゴーゴー」という若者文化に関する記事で、
メイドカフェに代表されるオタク文化を特集しており、
その中で、コメントを担当。

ただ、語り足りなかった部分もあるので、
取材時に用意しておいたメモ書きをUPしておく。


自分が「オタク」だという認識はあるものの、
正直、アキバ系にはなじめない29歳。

性に関することだけに特化しているのが
なじめないのかなあ。


鉄道ヲタクみたいな、ロマン系のオタクは、
スケベはスケベだけと、
あくまで、それは「むっつり」にしておいて、


「崇高にロマンを語る」

というフリだけでも、
保持していたと思うのだけど、
そういうオタク文化はいまはどこへやら?




===以下、メモ書きの本文============


1.そもそもオタク文化とは何か?


「もてない奴、それゆえのつまらなさを感じていた連中が、
仮想現実の中に、楽しさを見出そうとした文化」


・だいたい、源流は1970年代と思われる。
・当時、消費社会化が進行し、『anan』『non-no』が創刊されるが、
 こうした流行についていけない若者が徐々に増えていった
 (オタクの原点)


※「おたく」という命名は1983年中森明夫氏による。





2.なぜ今注目されるのか?


「楽しそうだから。
それだけ若者の間に”つまらなさ”感が広まっていて、
オタクだけが突出して楽しそうに見えるから」


「おかしなものに夢中になるオタクが問題なのではなく、
世の中全体に面白いことがないこと、つまらない状況のほうが問題だ」


 ↓なぜつまらなくなったか?


①豊か過ぎる社会になったから → これといって強烈にほしいものはない
②社会の先行きが不透明だから → 未来に対する漠然とした不安
③何でもアリの社会になったから → タブーの消滅


※別な言い方をすると、70年代の「ナウ」だった文化、流行の文化、
 異性に持てるための文化が、つまらなくなってしまったともいえる。
 「モテたから・・・何が楽しいのか」





3.現在のオタク文化への危惧・今後の対処方法など


オタク文化への筋違いな批判は改めるべき


「現実逃避は問題ではない。むしろ、現実がつまらないことのほうが問題。」


↓どうすれば現実は面白くなるのか?


「本当にどっぷりと漬かれるような『仮想現実』に現実逃避し切れば
むしろ逆に、現実が新たに、面白く新鮮に見えてくるのではないか」


※現実を面白く感じられないメンタリティが問題なのではなくて、
 そもそも現実に面白いことがなさ過ぎるのだ。

※※現実を面白く感じるように説教するよりも(就職すること、結婚する
 ことが実りがあることだと正攻法で説教してトートロジーに陥るよりも)
 新しい面白いことを創出するほうがいいのではないか?





②注目されることによるオタク文化そのものへ悪影響が心配


「『電車男』みたいに注目されると、そもそものオタクのよさがなくなら
ないか?コンプレックスがなくなってしまわないか?」





③「現実」と「虚構」は”あえて”区別(するフリを)せよ


「現実」へのコミットメントを促すためにではなく、
「虚構」を楽しむためにも、そうしたほうがいい


もちろん、論理的には、もはや両者の区別は付かない。


だからこそ、
「虚構」の享受という振る舞いを実り豊かなものにするためにも、
あえて、「虚構」と「現実」は区別(できるというフリを)したほうがいい。


これは上記の①とほぼ同じ論点。


実は、オタク自身においてこそ、
「現実逃避」ないし「現実」と「虚構」の混同は
大いなる問題なのだ。

なぜならそのほうが、結果的に「虚構」の楽しさが失われてしまうのだから。


繰り返し述べておけば、
徹底して「虚構」を構築し、楽しむフリを通してこそ、
実りある「現実」があるというフリが可能になるのだ。