ページタイトルについて


でもって、なんでタイトルが


Sociology IN Culture



かというとですね、
そんなに深い理由はないんですが・・・



ポピュラー文化が好きで、
それにどっぷりはまっている奴が
文化の社会学をして何が悪い?
って、しなきゃいかん!



とかって思っているからなんですね。




日本語にすると、
どちらも同じ・・・


文化の社会学


・・・なんだけど、
どちらかというと、これまでは



Sociology of Culture



のほうが多かったのですよ。



他の、連字符社会学とおんなじで、
家族やら、都市やら、医療やらと
同じように、文化も対象にするもんだと。



でもね〜、文化ってそこまで
突き放せないですよね〜。


僕らみたいな元テレビっ子世代は言うに及ばす、
ほとんどの日本人って、
どっぷり文化につかって暮らしているじゃないですか。



だから、外から眺めて文化を語っている人って
どうしても、胡散臭く見えつつある。


「そんなこと言ってても、オマエは単に
 あのタレントが好きなだけor嫌いなだけだろ?」


・・・みたいな。




だとしたら、その部分をむしろ隠さずに、
あえて、文化大好きであることを公言した上で、
当事者性を持ちつつ、突き放した分析もできる
語り口を探りたいな〜と。


なもんで


Sociology of  Culture



ではなく




Sociology in   Culture





でありたいな〜と思うわけですよ。



文化にどっぷりつかりながら
でも同時に突き放しつつ語ること。



まあ、それが具体的に
どんな語りのスタイルを取るかは
まだ試行錯誤ですが。


言ってることは微妙にカルスタっぽいですが、
カルスタにはならないように注意しないといけないですね。

日本のカルスタは、
オタク研究者(オタクを研究する人じゃなくて、
単に自分もオタクである文化の研究者のこと)
の自己正当化にしか、なってませんからねえ。
(オタクは文化を能動的に生産する、
能動的なオーディエンスだから超OK!・・・って意味不明な論文多すぎ)



まあ例えば、僕だったら、
鉄道ヲタクなので、
その当事者性を認めつつ、


  • なぜ自分が鉄道が好きだったのか

ということを
振り返りながら、
そもそも、この社会では


  • なぜ鉄道なんぞを好きになる趣味が成立したのか
  • それは、その後どう変化したのか

なんて疑問をベースに
一風変わった視点から、社会を描けたら
面白いな〜なんて思っているんですけどね。




鉄道ヲタク社会学



そんな研究を夢見るこのごろでした。