形骸化する「客観報道=中立主義」

<お仕事で書いた文章>


『総合ジャーナリズム研究』№193(2005夏:p44-45)
に書いた文章。


17787件の新聞記事を切り抜いては、
台紙に貼り付けて、分析した労作。
(調査実習でお手伝いいただいた、東洋大学生のみなさん、
本当におつかれさまでした。)


結論は、素朴っちゃ素朴だけど、
こうこうことを地道に言っていくこともまた必要だと思う。


ベレルソン流の内容分析って、意外とまだまだ有効なんだよね。
あれは単なる作業の方法論だから、いつでも誰にでも出来るし。


911テロだけでなく、いろんな事件の内容分析も
積み重なっていくと、日本のジャーナリズム研究も、
それなりの蓄積性を持つのですがねえ・・・。




あ、ちなみにタイトルは



形骸化する「客観報道=中立主義



です(以下、本文*1)。




 現在の社会情勢は、極めて複雑で混沌としている。以前にもまして、非常に分かりづらい事象が頻発する中で、「どのようにしてそれらの事象が起こったのか」「それらの事象にどのように対処し得るのか」といった解説や提言は、誰もが渇望している。
 中でも、事後的にじっくりと接する新聞には、こうした解説メディアとしての機能が要求されよう。
 しかしながらこの点について、日本の新聞ジャーナリズムは、必ずしも十分な情報発信を行っていないのではないだろうか。
本論では、2001年9月11日にアメリカで発生した「同時多発テロ事件」、ならびにその後  「アフガニスタン戦争に関する、朝日・毎日・読売3紙の全記事17787件について、内容分析を行った結果を紹介しながら、こうした問題点について考えてみたい。
なおこの分析は、筆者と島崎哲彦(東洋大学社会学部)、および川上孝之(東洋大学大学院)との共同研究によってなされたものであり、詳細は『東洋大学社会学部紀要』第42-2号掲載の論文をご参照いただきたい。
 結論を先取りするならば、現在の日本の新聞ジャーナリズムにおける大きな問題点として、「客観報道=中立主義」の形骸化という点が挙げられるように思われる。
 このことは、各紙の論調の違いを超え、むしろ共通する問題として存在している。
そもそも日本における「客観報道=中立主義」という原則は、第二次大戦中の「大本営発表」に代表される極端な偏向報道に対する反省や、過剰な商業主義に対する歯止め、といった背景による。
 しかし今日においては、この原則が形骸化し、むしろそれゆえにこそ、新たな偏りが生じてしまってはいないかというのが本論の主張である。では結果を紹介しよう。
 まず、全体的な傾向として、これら3紙の間に、それほど大きな差が見られないという点が言える。例えば、記事数で言えば、朝日が6233件(全体の35.0%)、毎日が5544件(31.2%)、読売が6010件(33.8%)とそれぞれ全体の3割強を占めており、記事の掲載面についても、「総合面」「国際面」だけでなく「スポーツ面」「海底面」にまで幅広くおよんでいる。
 強いて言うならば、読売が他紙と比べ、アメリカに関する情報発信の割合がやや多いという傾向がある。例えば、アメリカに関する何らかのテーマが含まれていた記事は、3紙合計で5706件(32.1%)だが、読売は2041件(34.0%)と、他の2紙と比べて、その割合がやや高い。
 だが、なによりも注目すべきは、3紙に共通して、解説や提言が少ないこと、さらに記事情報の発信元が偏っていることである。
 前者について言えば、事象を伝えるだけの「報道記事」にあたるものが多くを占めるのは、ある程度は当然であろう。しかし、「解説記事」にあたるものは、3紙合計しても779件(4.4%)、「特集記事」にあたるものも733件(4.1%)であり、事象の大きさからすれば、これらの数字は決して多いとは言えないだろう。
 また後者について言えば、一連の事象は大まかに言って、アメリカ側とアフガニスタンや中東諸国側といった2つの当事者に分かれるが、記事情報の発信元については、アメリカ側に偏ってしまっているのである。
 その割合を見ると、記事全体では「自社特派員電」によるものが過半数を占めるのだが、それに次いで「アメリカの通信社・メディア」によるものが3紙合計で2302件(12.9%)、「イギリスの通信社・メディア」によるものが、同じく1129件(6.3%)を占めている。
その一方で、「アフガニスタンの通信社・メディア」はわずか185件(1.0%)、また注目を集めた衛星テレビ局アルジャジーラが含まれる「中東諸国の通信社・メディア」でも214件(1.2%)だけとなっている。
 その結果、以下の記事のように、アフガニスタン国内の被害状況であっても、アメリカの通信社が伝えるようなケースが少なからず生じていた。
 「タリバンのザイーフ註パキスタン大使が『空爆されたアフガン西部ヘラートの病院で、患者や医師、職員など100人以上が死亡した』と明らかにしたと、AP通信が伝える」(毎日、2001.10.23、朝刊、第3総合面)
 確かに、それぞれの国内事情もあろうし、いちいち全ての記事に解説を付すわけにもいかないだろう。
 しかしながら、当事者の片方に発信元が偏った記事を、あまり解説や提言も加えないままに伝えることは、果たして「客観的」で「中立的」と言えるのだろうか。
 だが重要なのは、どちらかと言うとこれは、新聞ジャーナリズムに内在する偏りではないということである。すなわち、社会情勢が変化し、事象が複雑に多様化してしまったがゆえに、結果的に生じた偏りなのである。
 であればこそ、原則に固執し続けるのではなく、柔軟な対応が望まれるのではないだろうか。
 もちろん、解説や提言には多少の偏りが含まれる可能性もある。しかし、100%中立で正しい答えというのは、そうそうあるものではない。むしろこの混沌とした社会情勢においては、複数の異なる考え方を真剣に戦わせつつ、その中から次善の策を探し出していくしかないのではないだろうか。
 ジャーナリズムの中でも、とりわけ新聞に、解説メディアの先導役としての期待がかかっているように思われる。(以上)

*1:校正前の原稿なので、できれば掲載誌もご一読いただけると幸い