(1)「目からウロコ」体験をしよう!

※2年ほど前、『タウン情報まつやま』誌上で連載させていただいた、一言ブックガイド。
社会学の面白さを体験できる本を、一冊はわかりやすいマンガから、もう一冊は比較的マイナーだけど超おススメな専門書などから、合計二冊ずつ紹介しておりました。
まあすでに時効でしょうってことで、ブログでも再録しておきます。
毎回テーマがあって、それにあわせて二冊ずつ選んでいましたが、第一回目のテーマは「『目からウロコ』体験」。なにげない日常に、「えっ!?そうだったの?」という意外さを感じるところから社会を見る目をスタートさせたいと思います。



イキガミ 5 塗りつぶされた魂 (ヤングサンデーコミックス)

イキガミ 5 塗りつぶされた魂 (ヤングサンデーコミックス)

国民の1000人に1人が、大人になると必ず死ぬように仕組まれた社会。誰が死ぬかは直前までわからない。もちろんそんな社会はイヤだ。だが、濃密な「生」に必要なものは何か。現代の希薄化した「死」の感覚が問い直される一作。



定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫)

定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫)

日本人はいつから時間に正確か。明治期に鉄道が広まってからか。いや、江戸期にはすでに正確な時間感覚が存在し(寺の鐘の時報)、だからこそ鉄道が運行できたのだという。日々の社会のあたりまえさを疑う、「目からウロコ」の一冊。

「文化の驚くべき『変容』」〜『大正ロマン』28号掲載予定。

<お仕事で書いた文章>



高畠華宵大正ロマン館」より、会報誌『大正ロマン』の原稿依頼をいただく。
テーマは「驚いた!」だそうだ。

華宵には、同名の表紙絵があり、それに絡めて、現代の様々な驚きを特集するという。


私のほうは、まだ論文化には慎重な考察を含めて、
最近のポピュラー文化における「驚き」を手短にまとめてみた。

大正ロマン』28号に掲載の予定*1






========以下、本文。=====================


 近年、若者文化について、特に男性たちの文化に関する歴史社会学的研究を進めている。中でも『少年倶楽部』や『日本少年』といった大正〜昭和初期にかけての少年雑誌は非常に参考になる。近代化という時代の要請も感じつつ、男性たちの文化がどのように形成されてきたのかがよくわかる。先日来、大正ロマン館には多大なるご協力をいただき、貴重な資料のいくつかを見せていただいた。
 一方で、「歴史」を描くのに、過去を掘り下げるだけでなく、現在まで含めることを強く念頭においている。社会学の使命は、あくまでも現状の理解と対策にあると思うからである。現在を理解するための「歴史」とでも言ったらよいだろうか。よって、こうした資料分析に平行し、現状のフィールドワークも行っている。今回は、こうした研究の中から感じた、いくつかの驚きを紹介したい。
 まず、もっとも驚いたのは、たまたま東京大学駒場キャンパスで目にした掲示である。そこには、大学生に向けて「反社会的行為を固く禁じます」と書かれていた(図1)。思わず、一緒に歩いていた妻と、「えっ!?大学生って反社会的行為をしちゃいけないんだっけ?それも大学が禁止しちゃうんだ?」と顔を見合わせてしまった。



図1.大学生の「反社会的行為」の禁止

 もちろん「反社会的行為」を称揚するつもりはない。しかしながら、時に社会の問題を敏感に感じ、一つ引いた視点からそれを訴えること。「反社会的行為」をするのが大学生の特権だった時代は、間違いなくこの社会にも存在していたのではないだろうか。
 かつて社会学者の井上俊は、それを「離脱の文化」として論じたことがある。すなわち、現状の社会を「離脱」した超越的な観点から、問題を見つめなおすこと。それは、年若い者たちだからこそできるという主張である(『遊びの社会学世界思想社)。
 確かに、少し話をオーバーにしたかもしれない。この掲示で言う「“これらの”反社会的行為」とは、正確には「キャンパス周辺への住宅・施設などへの自転車・バイクの不法駐輪」のことを指しているからである。
でも、もう少し違った表現もありそうなものだ。学生への警告が目的なら、具体的な行為を書くだけでも十分ではないだろうか。ことさらに「反社会的行為」と強調する必要があるだろうか。それとも、私が過敏に反応しすぎなのだろうか。
だが、あれほど学生運動が盛り上がった東大の構内で、「反社会的行為」を「固く禁じ」るなどという文言の掲示がなされ、なおかつ誰も何も感じないままでいるということなど、かつてならありえなかった。本当に文化とは、時代によって大きく変わるものである。
 同じく、文化の変化という点では、JR秋葉原駅前の光景にも驚かされた(図2)。知られるとおり、「アキバ」は今やオタクたちが集う街となっている。それを、趣味の都として「趣都」と呼ぶ学者もいるほどだ(森川嘉一郎趣都の誕生』)。


f:
図2.秋葉原駅前のオタクたち


 特に驚いたのは、ある場所と対比させることで、かつてとはまるで正反対の文化の街に変化したと感じたからである。実は秋葉原を訪れたのも、その場所に行くことが目的だった。それは、中央線高架下の「交通博物館」である。本年5月14日をもって閉館してしまったが、常に乗り物好きの男の子たちの人気の的であった。昔の秋葉原といえば、「鉄道ファンの聖地」というイメージもあった。
 確かに鉄道ファンもオタクの一種ではある。しかしながら、現在のアキバ系オタクたちと鉄道ファンは、その内容において、ほぼ正反対の文化なのである。
 鉄道ファンの楽しみとは、すでに記した言葉で言えば、超越性の快楽である。いわば、「いま/ここ、ではない、いつか/どこか」を思考(志向)することの楽しさ、まだ見ぬ未来であったり、異国の地を思うことの楽しさである。その点で、先に述べた「離脱の文化」とも共通する。すなわち、常に現状から離れた、まだ見ぬ先を志向するのである。
 一方で、アキバ系オタクたちの楽しさは、関係性の快楽にある。『大正ロマン』前号の鼎談(http://www.kasho.org/taisho_roman27.html)で、高畠館長や宮台真司氏とも議論したことだが、その中心は「いま/ここ」に耽溺することである。「萌え」という行動は典型だが、アニメやゲームなどの特定のキャラクターとの関係性の中だけに快楽を見出し、「いま/ここではない、いつか/どこか」への関心は示さないのである。
 もちろん、「普遍的に」どちらがいいとか悪いとか言うことはありえない。むしろ、近代過渡期の急な成長期を過ぎ、安定期に入った社会においては、「いま/ここ」意識に特化した文化のほうが、時代への適切な対応と考えることも可能である。
 だが、文化がそれだけに特化していくことは、やはり問題ではないかと思う。「いま/ここ」意識だけに耽溺することは、現状を相対化し、問題を見つけ出す視点を失わせてしまわないだろうか。やはりどこかで、一つ引いた目から社会を見つめなおす、超越的な視点を確保しておく必要がないだろうか。
 そうした点からすると、かつての少年雑誌は驚くほど超越性の快楽に満ち満ちていることがわかる。いま、我々が当たり前のように使うものでさえ、かつてでは「ありそうもない」、憧れの対象であったことがよくわかる。
 例えば、地下鉄である(図3)。この写真は、『日本少年』大正7年新年号の付録「少年未来旅行双六」の一部である。いろいろな乗り物が、憧れるべき「未来」のものとして描かれている。そこには、この「地下鉄道(米国にも容易に行ける、と付記されている)」や「空中電車(現在のロープウェー)」、あるいは「エスカレーター」なども登場する。


f:
図3.地下鉄道〜『日本少年』大正7年新年号付録「少年未来旅行双六」より


 今では、当然のように存在するこれらのものが、当時では「いま/ここではない、いつか/どこか」を思考(志向)させるものであったということ、そしてそこに超越性の快楽を覚えていた年若き男性たちがいたであろうことがまざまざと知らされるのである。
 もちろん、当時のこうした超越性の快楽が、のちにファシズム的な国家権力へと結びついていったということは、疑いもない歴史上の事実である(『お国のため!』という意識)。
 だからこそ、繰り返し強調しておきたいのは、文化の楽しみが偏ることへの警鐘なのである。すなわち、かつての少年雑誌の文化は、超越性の快楽だけに特化してしまっていた。逆に、今日のアキバ系オタクの文化は、関係性の快楽だけに特化してしまっている。いずれにせよ、そのように、文化が極端に偏ることは、決して実りある成果をもたらさないのではないだろうか。
 これからは、多様な快楽が同時に存在し、多様な視点から社会を見つめなおすことできるような、そうした文化が発展していくことが望まれよう。その意味では、これほどに極端なほうから極端なほうへと、文化が変化してきたことが最大の驚きでもある。
今後も、現在と過去をつないで考えることのできるような、歴史社会学的なアプローチを継続していきたいと考えている。本稿で論じたことは、冒頭で述べたように、男性たちの文化に限定した議論である。よって今後は、女性たちの文化についても同様に掘り下げていけたらと考えている。(以上)

*1:詳細は、大正ロマン館のHPを参照。http://www.kasho.org/kashokai.html

友人関係の自由市場化は楽園か、地獄か

「2章.自由市場化する友人関係」を書かせていただきました。
 結婚相手が、お見合いから恋愛が中心になって、数十年がたちますけれども、いまや友人ってのも、自分の責任で見つけてこないといけない時代になっているんじゃないか・・・そんな内容を書かせていただきました。(友人までナンパする時代って言ったら、言いすぎですかね?)
 今までなら、決まったクラスの中、部活の中、サークルの中で作っていたものが、すべて自己責任になる。上手く行けばいいけど、失敗したら・・・。
 そんなハイリスクハイリターンな社会は果たして、楽園でしょうか?地獄でしょうか?

 『続・まちづくりとメディア』

<お仕事で書いた文章>

愛媛新聞に連載させていただいた「マスコミ時評」欄の最終回。

以下の文章は、2005年12月19日の掲載。



まあ、ありていに言って、
松山のタウン情報誌ってのは、
あまり面白いとは言えないのですね。



1.種類が少ない
2.ターゲットが明確じゃない
3.タウン誌ならでは!という情報がない
(口コミのほうが情報量が多かったり的確だったりする)



・・・てな、感じですかね、特徴を挙げると。




もちろんタウン誌を作る側ばかりの問題ではなく、
地方都市の消費者意識ってのも、大きな背景として存在する。


例えば、3年前に、
松山市内の主婦層を対象に、
意識調査をしたことがありますが、
そのときに、主な購入品目ごとに、
どんな情報源を使っているかを尋ねたところ・・・



1.自分の過去の記憶
2.新聞



・・・の2つがダントツだったわけで。

ようするに、かなり保守的というか、頑固というか、
あまり雑誌のような情報には
踊らされにくい気質が有るようなのですね、松山には。




でも、全ての地方都市がそうかと言うと
そんなことはない。


本文にも書いたけど、
熊本なんかは、
種類も多いし、
ターゲットも明確に細分化されていて、
しかも内容が結構センスがよくて面白い!


タウン誌を研究するなら、
熊本はかなり発見が多そうな予感がしますね〜。



松山のタウン誌ももっと面白くならないかな〜。




====以下、本文===================


『続・まちづくりとメディア〜タウン誌の活性化が必要』


 まちづくりのためには、どのようなメディアが必要だろうか。
県内はもとより、県外の人にも愛媛の魅力をぞんぶんに伝え、これからのまちづくりに加わってもらうにはどうしたらよいのだろうか。
 私は、タウン誌(地域情報誌)という雑誌メディアを、今以上に盛り上げていく必要があると考えている。
 なぜ雑誌か。二つの理由がある。一つは責任感である。多くの雑誌は、お金を払って購入する。ゆえに、作る側だけでなく、読者の側にも、買って損をしない雑誌を選ぶ責任が生じる。つまり、互いに適度の緊張が保たれた関係が生じる。
もう一つは連帯感である。雑誌は細分化の進んだメディアである。ゆえに、読者同士の好みや考え方が似通いやすく、おのずと親近感が沸く。多くの雑誌の読者欄が「ペンフレンド募集」のような記事を載せ、読者間の連帯が生まれるのも、それゆえである。
 これらは他のメディアにはない特徴だ。例えば、フリーペーパーや、インターネットの情報の多くは、無料で手に入るが、その分、責任感も薄れやすい。また新聞やテレビでは、不特定多数の人が接しているため、連帯感が生じにくい。
 したがって、まちを愛するものたちの、責任感ある連帯を形作っていくためには、タウン誌が重要である。
 今、県内の主なタウン誌としては『タウン情報まつやま』と『愛媛こまち』の2誌がある。これらの雑誌は、おおむねOL層をターゲットに、地域の飲食店情報などを中心に、充実した内容が特色だが、もっと多くの種類のタウン誌があってもいいのではないだろうか。
 語弊を恐れずに言えば、さしあたって、時間とお金に比較的余裕のある人々をターゲットにしてはどうか。
 例えば大学生である。学生からも「ちょうど読みたい内容のタウン誌がない」「だから立ち読みで済ませてしまう」といった意見を聞く。彼/彼女らに合わせ、少々安価で近場の、気軽に盛り上がることのできる飲食店やアミューズメント情報に特化したタウン誌はどうだろうか。
 あるいは、高齢者である。近年、第二の人生を謳歌する人たちが増えてきた。この人たちを対象に、少々豪華で、しかし体に負担のかからないような、まちの楽しみ方を提案するタウン誌はどうだろうか。
 いずれにせよ、松山市の人口規模に比べると、タウン誌の種類が少ないように思われる。
 例えば熊本市のタウン誌は、4〜5種類が存在し、若者向け、家族向け、独身者向けなどと明確に対象が絞られ、内容も充実している。これら他の地方都市の事例も参考になろう。
 徐々にフリーペーパーの台頭が著しい昨今において、まちづくりに本当に必要なメディアは何か、真剣に考え直す時期が来ているように思われる。(以上)

 

高畠華宵と現代のオタク文化に関する鼎談


<お仕事で書いた文章>



高畠華宵ってご存知でしょうか?

少年倶楽部」の挿絵に美少年や美少女を描いた・・・といえば、
ポピュラー文化好きの方なら、
「あああの!」とすぐに絵柄が思い浮かぶかもしれませんね。

そうです、竹久夢二などと同時期、
大正時代に活躍した画家です。

実は、その華宵が愛媛県出身で、
彼の作品を展示する美術館が松山近郊にあるんです。
高畠華宵大正ロマン館:
http://www.kasho.org/bijutsukan.html




今回、たまたまこの美術館が、
昨年末〜年始にかけて


「チャレンジ展示 <華宵萌え〜>」

なるイベントを実施されました。



華宵が描いた大正時代の美少年/美少女画は
今日の、ヲタクたちの萌え文化としても
受容可能なのではないかという、
まさしくチャレンジングな展示をされたわけです。


これだけでも、文化社会学者としては
あれこれ語りたくなってしまいますが、
なんと、それがきっかけとなって、
私と、師匠の宮台真司氏が
この美術館の会報誌に登場することと相成ったわけです。
(そのまえに、愛媛新聞で私がメイドカフェについて
コメントしていたのをたまたま館長さんがご覧になっていたとのこと。)



正確には、会報誌『大正ロマン』第27号掲載の
「文化鼎談 美術館千夜一夜物語『 魔 性 』」にて、
高畠華宵大正ロマン館館長の高畠澄江氏、
首都大学東京准教授の宮台真司氏、
そして私(=辻)の3名で鼎談をさせていただいたわけです。


この鼎談の全内容も、
同美術館のサイトに掲載されておりますので、
ぜひご一読下さい。
http://www.kasho.org/taisho_roman27.html



もっとも、師匠である宮台さんが
飛ばしまくっていますので、
私はほんの少ししか発言していませんが・・・。




近頃の宮台真司さんは、
何かというと「徴兵制だ!」などと物騒な発言をすることも多かったですが、


・今、文化を盛り上げていくことがいかに重要か、
・そのために、今、何をするべきか


といったテーマについて、
実にツッコンで語っていらっしゃいます。




ですので、大正ロマンにご関心の方はもとより、
文化社会学にご関心の方もおもしろくお読みいただけると思います。





なお、鼎談原稿の合間合間には、
華宵のイラストが挿入され、
堅苦しい学術誌とは違った、
すてきな雰囲気の仕上がりとなっていますので
そちらもお楽しみ下さい。







〜〜〜〜以下、私(=辻)の発言からの抜粋〜〜〜〜〜〜〜〜〜



辻:(年末〜年始にかけて、大正ロマン館が
「チャレンジ展示 <華宵萌え〜>」を実施したことに触れて)
<華宵萌え〜>という展示は、語弊を恐れずに言えば、「誤読」だと思います。なぜなら、当時「萌え」は存在しなかったからです。しかしながらこの「誤読」は、実に重要な問題提起を含んでいます。もちろん、現代においてオタクたちが、華宵の絵に「萌え」を感じることはありえるでしょう。しかし大正時代の受容形式とは明らかに異なります。そうした文化の受容形式の違いに重要なヒントがあると思います。


辻:その点で、ライバルと称される竹久夢二よりも、高畠華宵のほうが、世間一般での知名度はどうか知りませんけど、はるかに、後の社会への影響が大きかったのは間違いないでしょう。宮台さんがおっしゃったように、後の文化において、そこかしこに高畠華宵的なものの影響が見られる。ポイントは、繰り返し述べられてきたように、「近代化する日本」という、変動の時代の一瞬の魅力を描き出したことにあると思うんです。この点で、大正ロマンと後のアングラ文化に同質性を見出す、宮台説に同意します。さらに言えば、1920年代と1960〜70年代は、別個の独立した時代と捉えないほうがいいようにすら思います。すなわち、戦争での中断こそあれ、決して断絶はしていない、一つの大きな近代化過程だったとすら言えるのではないかと。そう考えると、現代の問題点も見えてきます。ある程度の近代化が達成されて以降の、成熟社会(後期近代社会)を我々はいかに生きるべきかという問題です



辻:よく「現実逃避が問題だ」などと言われますが、問題の本質を見誤っています。あえて分かりやすく二分法にのっとって、挑発的な言い方をすれば、むしろ問題なのは「逃避したくなるほどの現実のつまらなさ」でしょう。もっと言えば、面白い虚構が減少していることのほうが問題です。実り有る虚構の情報が豊富にあれば、むしろ現実が豊かに感じられるはずです。そうした発想の転換が必要です。


辻:現代の文化について、日本人の若者は文化の楽しみ方が下手であるような印象を受けるんです。80年代ぐらいにはこれからは文化の時代が来るというふうに言われました。つまり経済的な発展はもうないだろうから、これからは文化を楽しむ以外に社会の楽しみはないだろうと言われていましたよね。その十分なスキルを身につけないままに、どうも日本人が2000年代を迎えてしまったような印象があります。90年代は、やはり文化についても、「失われた10年間」だったのではないかと。
 抽象的な言い方をすれば、今問題なのは、「成熟社会としての後期近代社会を我々はどうすれば、楽しく生きることができるのか」ということです。1980年代に「ネタ」として描いていた未来は、2000年代になると「ベタ」な現実になってしまったわけです。


辻:闇の部分がある社会、それを作り上げる必要がありますね。冒頭で<華宵萌え〜>は、重大な問題提起を含んだ、あえてする「誤読」だと申し上げました。大正ロマン館には、こうしたチャレンジを今後もぜひ続けていただきたいと思います。愛媛には、道後温泉界隈のように、モダニズムの香り漂う空間がまだまだ多く残されています。そうした文化的遺産をうまく取り入れつつ、特に若い人たちに向けて、発信していただきたい。機会があれば、私も学生を連れてこようと思います。社会学者は、理屈ばかり唱えやすいきらいがありますが、すばらしい文化的遺産をお持ちの美術館・博物館とコラボレーションさせていただくことで、なんだかとても面白そうなことができる気がしてきました。今後も、そうした文化社会学的実践に取り組んで行きたいと思います。

 『まちづくりとメディア』


<お仕事で書いた文章>

本日(2005年11月7日)の愛媛新聞に掲載された記事。


現在、松山では、松山城への眺望を保全しながらいかにまちづくりを進めるのかという検討が進められている。

景観法という法律もあるのだが、山城への眺望保全をまちづくりに盛り込むか、否かという観点からの議論は、なかなか前例のないことらしい。

それゆえ、議論は難航を極めている。


今回は、ちょっと視点を変えて、メディアの問題について指摘してみた。


あまりにも、行政側のメディア戦略がお粗末過ぎるのは、驚きではあったけれども、実は、マスメディアの側の行政に対する姿勢も、かなり問題があったりする。

一言で言えば、「あら探し」が自己目的化している恐れがあるのですね。


権力批判は、それはそれで重要なのだけど、松山みたいな地方都市の場合、行政とマスメディアが、ともに協力して、まちづくりを考えていく、そのために手を携えるようなことがあってもいいんじゃないか、そんな考えを文章にしてみました。


もう少し、具体的な報道の問題点の指摘や提言なども織り込みたかったのですが、スペースの都合上できませんでした。



ただ、僕が実際に直面した、報道の問題点としては、
(これは愛媛新聞の記事であり、その取材を受けたのですが)

「『景観』とは何かという定義があいまいなまま議論が進んでいる」

という趣旨の記事が例えばありました。


まあ、そうかなと思わなくもないですが、
やはり本質を欠いていると思わざるを得ません。


これも取材の際に申し上げたことなのですが、


「本質は、まちづくりが”市民主体”で進んでいるかどうかです。
『景観』の定義云々も重要ですが(というかそれとも関連するのですが)
”市民主体”のまちづくりがいかにできているか/いないか、
ということに論点を絞って、取り上げてくれませんか?」


という指摘は、果たして、どれだけご理解いただけたのか・・・。



また、提言ということで言えば、
もちろん、不信ばかり持って、働きかけない行政がまずもって悪いのですが、
愛媛新聞や、あるいは地方局である民放各局などは、
もっと、受身に取材するだけでなく、いっしょになって眺望をどうするかを
考えるべきだと思うんですよね。

特集を組むなり、トーク番組をするなり、
なんでもありえると思うんですけど、
ただ、「いつものニュース」として取材して、
帰っていくだけの姿には、ずっと疑問を感じているところがありました。


下の本文でも書いたことですが、
地方ならではの、メディアと行政の相利共生関係
(もちろん、それは”なあなあ”の慣れあいになってはいけませんが)
をいまこそ作る必要があるんじゃないかってのが、僕の意見ですね。


東京にできないことを、地方だからこそ、先にやってみせる。

今回の松山城の眺望をめぐる議論は、
そのためのいいきっかけとなると思うのですが、
果たして今後の成り行きやいかに?






====以下、本文========================

『まちづくりとメディア*1                           

 一昨年から、松山市の「松山市都市景観検討協議会」の会長をお引き受けしている。検討内容は、高層ビルの建築が進む中、松山城への眺望をいかに保全しながらまちづくりを進めるか、である。
 観光資源、まちのシンボル、いずれにせよその眺望は貴重だ。だが先行の市民意識調査では、多少なりとも不利益を被る恐れがあるとなると、まだまだ慎重になってしまう姿勢が伺えた。こうしたまちづくりもなかなか前例が少ないらしい。
 この協議会に決定権はないが、行政の提案にコメントを付し、再び行政が取りまとめるというやり取りを繰り返し、おおむね以下のような議論がなされてきた。

  1. まちづくりの主体は市民だが、城山の眺望保全に関する意識は十分に盛り上がっているとはいえず、現段階で行政が一方的な施策を講じるべきではない
  2. 市役所前にモデル地区を設定し、その取り組みを多角的にアピールしてはどうか
  3. モデル地区のアピールを通じて、市民意識の盛り上がってきた地域があれば、徐々に取り組みを広げていってはどうか。

 私が問題を感じたのは2の点だ。モデル地区という発想はよいとしても、そのアピールのアイデアが欠落しているのだ。行政が想定したのは、市の広報やホームページの活用である。しかし、多くの市民に対するアピール策として果たして有効といえようか。
 むしろ対象ごとにアピール内容と手段を選択するような工夫が必要だ。具体的には、若者向けにタウン誌に依頼して共同でイベントを実施したり、あるいは主婦向けにフリーペーパーを活用したりといったことだ。
 この場合、行政にもマーケティング感覚が求められるが、メディアの側も傍観者のままではなく、主体的に関わることが求められる。
だが、これまでのマス・メディアの取材姿勢には疑問が残った。語弊を恐れずに言えば、マス・メディアは行政に対し「あら探し」ばかりする傾向がある。取材される側になって感じたことだが、もっぱら問題点や批判点ばかりを探し、建設的な提案や指摘はあまり耳にしなかった。
 もっと問題なのは、「機械的な日常業務」のような取材だ。初回にはカメラが砲列をなしたが、議論が深まるごとに数は減った。よって行政の側にも、マス・メディア不信が根強い。
 もちろん、権力批判はマス・メディアの重要な役割だ。だが、今回のようなまちづくりをめぐって相互不信が続くことは、とてもメリットがあるとは思えない。同じまちに暮らすものとして互いのメリットを共有しながら、共に未来を構想することが重要ではないだろうか。そうした相利共生の関係こそ成熟社会のあり方だ。
 市民主体のまちづくりに、行政もマス・メディアも、何をしたら役に立てるか、真剣に考えてみてほしい。会の任期はまもなく終わるが、引き続き一市民として今後を見守りたい。
                          (松山大学人文学部講師)

*1:掲載稿に間に合わなかった修正を一部施してあります。

 読み手から書き手へ〜メディア・リテラシー概念、展開の時期到来


<お仕事で書いた文章>

愛媛新聞』「マスコミ時評」欄の記念すべき第1回目の文章。

今読み返すと、こんなにも”市民派”な文章を書いていたのかとびっくり。


最近は、大衆社会論に転向しつつあったりもするので、
自分に何が起こったのか、
それとも日本社会に何が起こったのかと
ちょっと振り返って考えてみたりしてしまった。



===以下、本文=============

「市民の取り組みからメディアを変えよう。」
 そんな試みの場として、先週末の土曜日、日本女性会議第二分科会「メディア・リテラシー」が開かれた。
 私もパネラーの一人であったのだが、多くの参加者に問題意識が共有され、大成功に終わった。
 そもそもメディア・リテラシーとは、「メディアの読み書き能力」を意味する概念だ。言葉や文字を読み書きするように、我々はメディアの情報もまた、適切に読み解き(受信)そして書き伝えて(発信)行かねばならない。
 しかし、これまで日本においては、読み能力ばかりが注目を集めてきた。
これは、この国のメディア情報に、差別的で問題のある表現がいかに多かったかを物語る。
だが、十分とは言えないまでも、着実に改善は進んできた。次に必要なのは、メディアの情報発信を今まで以上に魅力的なものにすることである。
さて、ここで勘違いをしてはいけない。これは、メディアだけに任せる問題ではない。我々市民こそが参加すべきだ。
我々は、情報を受け取るだけの「受け手」から、表現に敏感な「読み手」へと変化してきた。そして今こそ、魅力的な情報発信に加わる「書き手」にならねばならない。
では具体的にどうすべきか。単純な話だが、新聞なら記事に取り上げて欲しい情報をどんどん新聞社に伝えることである。
 (失礼かもしれないが)新聞記者は、我々の想像するほどに、全ての世事に通じているわけではない。これは取材力の低下というよりも、社会の変化が急速で大規模なため、対応しきれていないのが実状だ。むしろそこにこそ市民が「つけこむスキ」がある。
 記者の手が回らないような巷の情報や、あるいはその背景にまで踏み込み、メディアに対して市民から丁寧な情報発信をすればよい。記者の専門性を越えた部分を市民がフォローし、時に取り上げて欲しい問題を記事にしてもらう。そんな「相利共生」の関係を築くことが、成熟した情報化社会のありかたといえよう。
 これは根拠のない話ではない。愛媛新聞社はじめ、市内の各メディア関係者に、私とゼミ生が直接インタビュー調査した結果、そうした情報発信は「本当にありがたい」ものと待ち望まれていた。
 あわせて、記事にも書き方のコツがあるように、そうした情報発信がメディアの目を引くためのコツもご伝授いただいた。
 分科会当日には、そうしたコツと、市内の主なメディアの連絡先をセットにしたマニュアル(「松山マスコミ電話帳」*1)を配布し、ご好評をいただいた。
 これをスタート地点として、書き手となった市民に、メディアが実際にどう対応してくれるのか、今後、見守って行きたい。

*1:ご関心の方は私までメールください。残部がありますので。